【コラム】戯曲と海上散骨 執筆者:海道歩

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 日本劇作家協会主催の戯曲セミナー(2016年)で、平田オリザ先生は、演劇はコミニケーション能力向上に有効と、何度か言われました。確かに、戯曲を書くことは、コミニケーションの前提となる好奇心の育成には大変有効です。同期のB女史のいつも言われるように、常に心には「メモ帳」を用意し、「メモ帳」、「メモ帳」と唱えると、不思議なことに、世の中の全て、森羅万象ことごとく、戯曲のネタとなります。年寄りが年寄りになる最大の原因は好奇心の減退で、若い人でも、好奇心が衰えると「年寄り」じみてきます。現在73歳が言うのだから間違いありません。長年研究者として生きてきた小生も、退任後はやや好奇心が衰え、年寄りの仲間に入りつつありましたが、偶然出会った戯曲セミナーのおかげで、再び、昔のような好奇心が芽生えてきました。これも「ひこばえ」というのかな。前置きが長くなりました(前置きが長いのも年寄りの常)。最近は、与えられる機会は逃さず、なんにでも興味を持ち、心の「メモ帳」を持って、飛び出して行くことにしています。

 

 数日前、縁あって、海上散骨式に参列しました。場所は、羽田沖。
小生自身、30年ほど前から、私が死んだら黒潮に散骨して欲しいと家族に言ってきましたので、興味を持って参加しました。有明のある小さな埠頭からランチで海上40分余。羽田空港の直ぐ沖。青い海、といいたいところですが、当日は「赤潮」気味で、薄い茶渇色。でも、「赤潮」といっても有害なものではなく、これは珪藻赤潮。東京湾の豊かさの証明なので、「羽田沖の豊かな海」で散骨、でいいと思います。簡単な遺族挨拶のあと、十点鐘の間、黙祷。その後ランチ後方から、白い小さな紙袋のお骨と色あざやかなたくさんの花びらを撒き、散骨。明るすぎる光の下、夏のような潮風に舞う花びらは、少し寂しげで(なんといっても海は広い)、それでもキラキラ輝いていました。ランチは短い汽笛を鳴らし、反時計周りに3回現場を旋回し、散骨式は終了しました。終わった後、アッパーデッキで海を見ながら、突然、20代の頃の経験が蘇りました。23,4歳のころ、庁内の募集に応じて、北洋捕鯨の監督官となり、6ヶ月間捕鯨母船ですごしました。当時の捕鯨業はわが国の水産業最大の規模。1万7千トンの母船の下、1万トン級工船2隻、2千トン級タンカー1隻、1千トン級キャッチャーボート20隻の大船団で、従業員も4千人余。乗船中不幸にも2名の従業員の方が亡くなり、船上で2回、水葬が行われました。北洋の深い霧と細かな雨の中、操業を中止し、洗い清められた広い母船甲板に船員をはじめ全職員が正装して居並び葬儀が行われました。水葬のあと、巨大な母船が、汽笛を鳴らしながら、現場を反時計回りに3回旋回したのを思い出したのです。そう、今の海上散骨は、古い、伝統的な水葬の形のままだったのです。