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馬はか弱い。

小学校の高学年の時、私は競馬に夢中だった。理由はよく覚えていない。1995年の秋、日曜昼の情報番組で天皇賞・秋の予想コーナーを偶然目にし、出演者があーだこーだ予想をしている様子にワクワクした記憶がある。そこから急激に興味を持つようになった。中学生に上がる前頃から音楽に夢中になり、馬への熱は冷めていくのだけれど、とにかく私は約二年間競馬のことばかり考えていた。過去のレースの記録映像を漁り(動画サイトはなかったからレンタルビデオ屋で借りていた)、本屋でオグリキャップやメジロマックイーンの評伝を立ち読みし、スーパーファミコンでダービースタリオンをプレイし、土日は当日のレース番組にかじりつき、時には両親に府中競馬場に連れていったもらったりした。「小学生の趣味ではない」と親や大人に何度も言われたし、多少そのことを恥じてはいたけれども、楽しいから仕方なかった。私が賭け事を好んでするタイプではなかったが、何故か競馬にだけは愛着を覚えたのだ。

そんな私にとって、馬は儚くか弱い生き物である。レース中に故障し、命を落とした名馬の存在が記憶に焼き付いているからだ。私が競馬を好きだった当時に、レース中に散った有名馬が二頭いる。若い時に芝のレースで活躍し、古馬(満4歳以上の馬)になってからはダートコースで無類の強さを発揮した牝馬ホクトベガ。「砂の女王」と称された彼女は、ダート世界最強馬を決めるドバイワールドカップ出走時に転倒・骨折、すぐに安楽死処置を受けた。もう一頭はサイレンススズカ。最強の逃げ馬として名高く、連勝街道の中、大きな期待を背負って臨んだ98年の天皇賞・秋の第四コーナーで、栗毛の馬体が突如スピードダウン。全出走馬に追い越された後、予後不良と診断され、そのまま帰らぬ命となった。二頭が亡くなったレースを私はテレビ中継で見ており、どちらの時も呆然と立ち尽くしていた。向かうところ敵なしで、最強と評された馬たちが、あっけなく消えていく。テレビに映った彼らののたうちまわる様子を目にし、こんなに強さと弱さがギリギリのラインで接している生物はサラブレットだけだと、強く思うようになったのだ。

前置きが長くなってしまった。私が書こうとしているのは1月20日の夕方に体験した佐藤朋子のレクチャーパフォーマンス『103系統のケンタウロス』についてだ。指定されたバスに乗って、冊子を見て、音声を聞くこのパフォーマンスは競馬の歴史に関するものだった。『103系統のパフォーマンス』は状況に巻き込まれた者の精神を変容させるという意味で、紛れもなく「劇」の上演である。配られた冊子が戯曲で、演者は体験者の想像力と記憶だ。前置きの長さは、上演によって記憶が刺激されて、長らく思い出さなかった出来事が頭の中に次々と浮かんでしまった事に起因する。

とはいえ、レクチャーパフォーマンスが伝えるのは私が思い出したような競走馬の死に関するものではない。それは根岸競馬場をめぐる、変容の物語だ。まず、パフォーマンスの前に、日の出町のギャラリーサイトウファインアーツでスポーツ新聞を反転されて重ねたフォトグラム作品を見る。一時的に使われてすぐに捨て去られる新聞上の馬の写真には、どこか打ち捨てられたような侘しさを感じる。その後、日の出町1丁目のバス停で、103系統、根岸台行きのバスに乗る。そこで冊子を開き、印刷されたQRコードを読み込むと、SoundCloudのページに飛んだ。再生された音源から佐藤の声が聞こえ、レクチャーが始まる。移動するバスが夕闇の風景を変えていく中で、声は根岸競馬場の廃墟が再利用される予定であり、そこに使われるシンボルの候補がいくつか存在することを告げる。馬に乗る明治天皇、1967年の天皇賞(歴代唯一の中山競馬場開催)の勝ち馬カブトシロー、明治時代に競走馬であった中国馬、ケンタウロス、横浜市の神社に祀られている頭部が馬で下半身が亀の藁人形「お馬(おんま)」。これらのシンボル候補に共通するイメージは「変容」である。明治天皇は、乗馬を始めて体を鍛え、和装から洋装へ衣装がえすることで、別人の装いとなった。カブトシローはビッグレースで勝たない「影の馬」だったが、日本最大のレースの一つである天皇賞で突如勝ちを攫った。軍馬の品質改良のため推奨されていた明治の競馬において、当時競走馬として活躍していた中国馬たちは西洋を目指す日本にとってふさわしい存在でなかったからか、皆が去勢され、血統を残することなく日本から消えた。ケンタウロスの変身・変態は言わずもがな。災いを振り払うために祭礼で海に流されるお馬も、そもそも馬とカメラのキメラである。この変容のイメージと、日本の歴史が重ねられるのが本レクチャーの大きな特徴だ。普段人前に姿を見せない明治天皇が根岸競馬場に何度も訪れ、国が競馬を推奨したのは富国強兵のためであり、日本競馬の歴史には西洋化を迫られた近代日本の姿が影を落としている。日本は西洋に変容しようとしてきた。結果、日本は西洋と東洋のキメラの国家、どちらにもアイデンティファイできないような宙づりの国家となった。ケンタウロスの実在を否定する佐藤の声が思い出される。「なぜなら、馬が成長しきる3歳の時、人はまだ赤子で、逆に馬は人より50歳も寿命が短いのです」。ヨーロッパからみて極東に位置する島国はかつて下半身の成長しきったた三歳児であり、今は体が衰弱しきった青年になったのではないか。そのような如何しようも無いねじれを、「お馬」のように全て水に流すことができたらいいのに。

そんな国家論を考えている間にバスは高台へと進んでいき、気づけば人気の少ない、住宅街のバス停に到着していた。街灯だけが光る、肌寒い暗闇の中を少し歩いていくと、坂道になった公園に到着する。そこで振り返ると三つの塔を繋げたような巨大な建築物が蔦にまみれて建っていた。旧根岸競馬場の第一観覧席跡。グロテスクなキメラを産み落とした場所の残骸。そこから受ける感情のイメージは、やはりかつてのホクトベガやサイレンススズカのようなか弱さだった。隆盛を誇った場所が、寒々しい空気の中で取り残されることのか弱さ。近くでは、何もないかのように子供達がバスケットボールをして騒いでいる。強さは何かの拍子ですぐに底なしの弱さへと落ちていく。おそらくそれは避けようもなく。私はそのか弱さを私自身のものだと、廃墟を前にして思う。多分それは日本人というアイデンティティを持った人が多かれ少なかれ抱えているか弱さだろう。

佐藤の仕掛ける上演は気のてらったところがない。ひたすらに真っ直ぐな作品だ。調べたことを冊子にまとめ、音声で簡潔な報告をする。彩色のない簡素さに、私はそれを「アート」や「劇」と呼ぶのをためらう。しかし、この実直さは、戦略性や精神的屈折にとらわれることなく、体験者を見知らぬ自分自身へ連れていく。考えることのなかったことを自分の頭で考えさせる。そのような効果こそが「アート」や「劇」と呼ばれるものの本質である。体験者の肉体と思考は変容を被るが、そこにグロテスクなキメラ性はない。ただただ自分自身のまま、自分自身へと変化すること。か弱い私たちは、か弱いまま、変わっていく。