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岸井戯曲を上演する in Osaka #0
12月27日(水)
@阿倍野長屋(大阪)
筆:渋革まろん
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普通の演劇、という言葉で何を思い浮かべるだろう? 演劇関係者ではない一般人が観る演劇、あるいは誰にでも受け入れられるオーソドックスな演劇、または取り立てた特徴のない退屈な演劇。コンテクストいかんでもちろん意味は変わってくるが、大阪の「阿倍野長屋」で開催された「岸井戯曲を上演する in Osaka #0」は、「… 続きを読む
ワワフラミンゴは凄まじい。圧倒的に凄い。そうとしか言いようがない。まず、目的がわからない。劇を観ていても、その劇の後ろにあるものが見当たらない。多くの内実が含まれているという印象は一切覚えない。かといって、観光地の顔出しパネルのように後ろに回り込んだら薄っぺらというわけでもない。ワワフラミンゴの背後にあるのは、いわば全くの無である。「無」という、抽象的にしか捉えられない概念が突然具現化する。その驚… 続きを読む
撲殺。銃殺。爆殺。毒殺。キュイの『前世でも来世でも君は僕のことが嫌』では、四種類の殺害パターンが見られる。そう、この劇は人が殺しまくり、殺されまくる演劇である。だが、ランダムに上演されているようにみられた四つの場面は登場人物の一人である青年の夢の中の話であることが、場面が反復されていくことによって判明する。夜の公園のホームレス殺し、バスジャック、大学での銃乱射、カフェでの毒混入、どの場面においても… 続きを読む
(ネタバレを含みます)
青年団リンクキュイの新作では「夢」と設定されたばらばらの4つのシチュエーションを8人の俳優がそれぞればらばらの役になって繰り広げられる。それはクリストファー・ノーランの『インセプション』や押井守の『うる星やつら ビューティフル・ドリーマー』のような複数の夢同士をはしごする作品と紹介すれば少し、イメージしやすいかもしれない。しかし、編集一つで空間や時間の移動が可能な映画とは違い… 続きを読む
小春日和のなか、30年ほど時間が停まったような京浜東北線蕨駅南口のロータリーから左へほぼまっすぐに10分ほど歩くと、ゲッコーパレードの本拠地であり今回の公演場所、旧加藤家住宅がある。あまりにも一般的な住宅街の、あまりに一般的な一軒家。玄関で靴を脱ぎ、受付をすまし、座布団に座る。目の前には和室。白い布がしかれ、幾色にも絵の具が塗られている。小さい三脚が部屋の真ん中、右後ろには大きい三脚、左側にはシー… 続きを読む
「あぁ。恥ずか、恥ずかしい。何故こんな、無様な、、決して成りはしないと思っていた低俗な人間に成り下がっているのだろう・・・それもわたしのことをよくも知らない他人の前で・・・。いや、他人ではない人もいる・・・そいつらはもっとやっかいだ。隣近所や会社の連中、わたしの名前や普段の様子を知っていることは知っている、ただしそれは公的な場での「わたし」であって、もちろんある程度演じているものであって、大部分の… 続きを読む
こんにちは。伏見 瞬と申します。
このサイトはゲンロン批評再生塾第3期生の有志による演劇批評サイトですが、
「演劇興味あるけど何を観ればいいのかわからない」と思っている方へのガイドにもなればと考えております。
というわけで、私自身の独断と偏見に基づくものですが、
今後行われるおすすめの公演を定期的に紹介していこうか、と。
月の中頃に毎月更新していく予定です。
11月〜1月演劇 主な公演
チェルフィッチュ『三月の5日… 続きを読む
KAAT 神奈川芸術劇場(11月11日)
日常的に人は、心に縛られている。身体は感情に弱い。なにかしらの感情、後悔だったり恐怖だったり自己嫌悪だったりと呼ばれるであろうものが働くことで眠れなくなったり、体の動きを制御できなくなったりする。私はこの前、歩きながら無意識にクソみたいな会社の同僚への呪詛を吐い続けていて、自分で引いた。
それでは、「心は存在しない」という断言は何を意味するのか。心がないのなら、… 続きを読む
2017年11月に小劇場運動のメッカ、「早稲田小劇場どらま館」にて「新訳 ゴドーを待ちながら」の2回目となるリーディング公演が行われた。訳者は岡室美奈子、演出家は6月の初回リーディング公演に引き続き宮沢章夫である。
内容は「ラジカルガジベリビンバシステム」でいとうせいこう、竹中直人らと日本における最初期のシュールコントを磨いた宮沢ならではの非常に洗練されたコントのような「ゴドー」だった気がする。ウラジ… 続きを読む
表題の二つの作品、一つは舞台、もう一つは映画についてから考えたことを少し述べたい。『地獄谷…』の作者には、そんな意図は少しもないかもしれないが、これが少々意地の悪い解釈になることを許してほしい。
この11月、KAAT 神奈川芸術劇場、JR桜木町駅から徒歩15分ほどの、ほとんど横浜の一等地の一角と言ってもいい劇場に足を運んだのは、1年ほど前に戯曲を読んだときに、この作品の特異性というのがよくわからなかっ… 続きを読む